英作文と言えば、多くの日本人は「和文英訳」を思い浮かべるのではないでしょうか。日本語を英語に訳す作文のことです。この和文英訳、ここ数年では大きく見直されてきています。和文英訳は必要なのか、その問題について考えてみたいと思います。
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和文英訳とは――日本だけ?
入試や高校生向けの教材では当たり前のこの「和文英訳」という形式ですが、世界的に見たら、特異な問題形式と言えるかもしれません。知り合いのアメリカ人に、ある大学入試模擬試験を見せたところ、「翻訳」という形式は、アメリカ人が受ける語学試験ではほとんどないそうです。
考えてみたら、和文英訳という形跡にあれこれ頭を悩ませるのは、ほとんどの日本人にとって大学入試までです。大学入学以降は、英検・IELTSなどの英語試験を受けるにしても、こういった外部民間試験には和文英訳などありません。国際的な試験であるIELTSやTOEFLに日本語を英語にする問題がないのなんて当たり前です。
社会人にとって、一般的には「ライティング力」=自由英作文でいかにいい文章を書けるかということになります。与えたれた母語を外国語に訳す力ではありません。
では、和文英訳なんて、実際には不要なのでしょうか? 答えはイエスと言いたいところですがノーではないかと私は思っています。
最新大学入試と和文英訳
和文英訳の入試に占める割合はここ数年で大きく減少しているのは事実です。多くの大学が入試では和文英訳から自由英作文にシフトしてきました。和文英訳の牙城とでも呼ぶべき京大の入試が2016年にはじめて自由記述の英作文を配点の半分で導入したのは象徴的でした。
最新の2018年入試でも、長めの和文英訳を毎年出題していた名古屋大学入試から、この子形式は姿を消しました。北海道大学もここ数年で和文英訳を廃止しています。
ではなおさら、日本語を英語に「訳す」なんてやめたらいいのではないかと言いたくなるかもしれません。
それでも、日本語を英語に訳す練習は、「ある程度は」必要だと思います。理由は日本語と英語の特異な関係にとっては、「訳す」ということが言語の壁を乗り超える有効な方法ではないかと思うからです。
英語と日本語の「こじれた」関係
日本人が英語を学ぶことは、フランス人やドイツ人が英語を学ぶのとはまったく事情が異なります。
〔主語〕+〔動詞〕と始まるのが基本的なヨーロッパの言語は、多くの共通点があります。文法的にも語彙的にも英語と他のヨーロッパ言語は共通点が多いです。
もちろん、英語仏語といえど、言語が違うのでそれなりに違いはありますが、英語日本語の違いに比べると、はるかに多くの共通点があります。
時制・関係詞・冠詞・前置詞など、日本人が英語を並ぶときは、根本的なところから乗り越えないといけない問題が無数にあります。なかでも、日本人からしたら最大の障害は英語の語順です。
英語は語順が変わると意味が読み取れないか、まったく違う意味の文になってしまいます。
「トムはキャシーが好きだ」なら、
Tom likes Cathy. (正しい文)
Tom Cathy likes. (意味不明)
Cathy likes Tom. (全く違う意味の文)
日本語では、
「キャシーが好きだ、トムは」
「トムは好きだ、キャシーが」
ニュアンスの違いはありますが、日本語では、伝えられる意味内容は、語順が変わっても同じです。一方で英語は語順が多くの情報を左右する言語です。
「机の上の本」というときに、英語では《the book on the table》と、on the bookという修飾語句が後ろからthe bookにかかります。「本、机の上の」という感じです。
「私が駅で会った男の人」だったら
the man I met at the station です。
次のような会話があるとします。
“Who is he?”
“He is the man I met at the station.”
「彼は誰?」と聞かれて、
「彼は男です、(誰かというと、)私が会った、(どこかというと)駅でね」
という感じで情報を後ろに付け加えていくのが英語です。
改めて考えると、日本語と英語の語順のこの差はかなり大きいです。日本人が英語をなかなか話せないのはこのギャップを乗り越えるのが難しいからといえます。
当たり前のように使う言語という手段において、語順が違うということは、大きなハンディキャップです。これを乗り越えるには、徹底的にこの壁を乗り越える訓練をしないといけません。
英語である程度話せるようになるには、簡単な文でいいので、この壁を乗り越えるような練習が必要です。そして、英語がある程度正しい順序で組み立てるようにする練習が、英作文です。
このギャップを乗り越える
英語を話すことは瞬間的に英作文をすることに近いです。単純な文を瞬間的に組み立てて言語の壁を乗り越える練習をしていない人で英語が話せるようになる人はいません。そのための書籍も多く出版されています。
この感覚が身についているかどうかが、英語を話せるかどうかの分かれ目になるのです。学生時代にどれだけ多く英語を勉強していても、4択の文法問題や、文のかっこを埋めるだけのような問題ばかりやっていたら、英語を話す力などつきません。英語の知識があるか確認する問題は、瞬間的に言語の壁を乗り越える練習とはまったく違うものだからです。
その証拠に、ほとんどの日本人は、高校時代、文法問題集や入試・模擬試験でこいった問題を経験していますが、英語が話せません。英検の準1級レベルの英語力がある大学生なんてほとんどいませんし、有名大学の学生でも英語がそれなりに話せる人なんて、わずかです。
ということは、従来的な文法問題だけをやっていても英語が話せないのはまったく当然といえます。(文法問題が全く不要とは言っていません。)
そういうわけで、和文英訳の練習は、日本人には必要な練習ではないかと私は思います。言語の違いを乗り越えられるレベルで、徹底的に練習が必要だと。
文法を身につけるには、徹底的な練習が必要です。練習が必要なのです。習ったら、慣れないといけません。習うけど慣れないでは、語学はできません。
そういった練習をするのに必要なのが、「瞬間英作文」を謳った教材だと思います。有名どころは次の2点です。
この本は、「瞬間英作文」の名を冠した(おそらく)最初の教材で、とてもロングセラーでありベストセラーの商品です。基本的な文を少しずつ徹底的に練習するなかで身につけるパターンプラクティスを標榜した本の元祖とでもいうべきでしょう。通常の文法項目別版以外にも、シャッフル版などの多くのバリエーションが販売されています。
こちらはどちらかというと新しい本ですが、現在はどの書店にも並んでいる本で、英語の基礎体力をつける本として人気急上昇中のものです。こちらも徹底的に基本的な文が表現できるようにレイアウトされています。
英語で話すときは英語で考えるので日本語はいらないという人もいますが、やはり多くの日本人にとってははじめは日本語を英語にするところから「話す」「書く」はスタートするのではないでしょうか。自由英作文だろうと、脳内で書くことを英語で考えるということもあるかもしれませんが、多くの人は日本語で考えて英語に置き換えるということも並行してやっていると思います。
普通は、日本語を英語に瞬間的にする回路ができていってから少しずつ英語を英語で考え、脳内で日本語を介さずに瞬時にアウトプットできるようになっていくのです。
少なくとも私は、自分がIELTSや英検1級の英作文やスピーキングをするとき、日本語を介して考えている部分は結構あると思います。
まとめ――誰もがやるけど…
和文英訳スタイルの英作文は、英語的語順の回路を脳内に作るために必要であると思います。これは日本人が、日本語と英語とのギャップを乗り越えるために避けられない基礎体力作りではないでしょうか。
すくなくとも、留学もせず、スクールにも通わずに英語を身につけるには、一番の近道ではないかと思います。瞬間英作文的な練習をどれだけしたかが、英語を「ほとんど話せない」か「英語を少しは話せる」の違いだと思います。
この違いは、日本ではとても大きいです。ほとんどの日本人は英語を「ほとんど話せません」。日本では英検の2級を持っているだけで、平均以上の英語力です。
英検の2級以上を持っていたら、少なくとも英語を「少しは話せる」と言えるのかもしれませんが、実際には、準1級の面接でも瞬間英作文系の練習をしておくだけで十分に対応できます。そういった練習をやっているというだけで、普通の日本人以上のことをやっているわけです。
英語を話せるようになるのはなかなか日本人にはハードルが高いのですが、練習をすれば不可能ではありません。それを十分認識することが今こそ必要ではないでしょうか。
英作文は、だれもがやります。やったことがあります。それを、瞬時に、話すレベルまで、徹底的に練習する人は、今のところ少数派です。このあと一歩の努力があるかないか、大きな違いだと思います。