allegro, vivace, espressivo… これらおなじみの音楽用語の多くは、イタリア語の単語です。
allegroは、音楽では「速く」とされますが、実際のイタリア語にはそんな意味はありません。では、イタリア語ではどんな意味になるのでしょうか? 今回は、おなじみの音楽用語の世界を、イタリア語から紐解いてみましょう。
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速度記号とその本当の意味
速度を指示する音楽用語は、教科書には次のように載っていることが多いです。
presto 急速に
allegro 速く
allegretto やや速く
largo 遅く
私たちは中学校の音楽の時間にこのように習います。しかし、イタリア語が分かるとこれらの記号のニュアンスはなんとなく違って見えてくるものです。
presto
たとえば、prestoは「速く」ではなく、実際にはどちらかというと「早く」です。「すぐに、まもなく、急いで」みたいなニュアンスもあります。
Mi sono alzato presto.
(私は朝早く起きました。)
単純にスピードメーターの数値が速いというよりは、「急いでいる」「早く」という感じがあります。
ちなみに、日本語の「速く」(英fast)に近いのは、rapidamenteの方ですね。
allegro
おなじみの音楽用語です。「速く」という意味で楽譜上では使われます。
しかし、イタリアでタクシーに乗っていて “Allegro!” と言ったところで、運転手は別に急いではくれません。ただ、テンション挙げてノリノリで話しかけて来るかも知れません。
というのも、イタリア語の allegro は「陽気な、快活な」(英cheerful)という意味です。イタリア語では非常に良く使われる日常語です。いかにもイタリア人にぴったりな形容詞だと思います。
イタリア語で musica allegra というと、「陽気な音楽」という意味です。
「速く」と思っているだけでは、この単語のニュアンスを感じることができません。
私がallegroを見て思うのは、陽気な「イタリアっぽい感じ」です。もちろん、すべての作曲家が同じニュアンスで使ってるわけではありませんが、そういった雰囲気を感じることで音楽も単語もまた違った表情をもって見えてきます。
その意味で、イタリア語のallegroは、それにあたるとされるドイツ語の schnell, geschwindt(速く)とはおよそ違うニュアンスを持っています。
ちなみに、「やや速く」とされるallegrettoは、allegroに「縮小」を表す-ettoという語尾がついたものです。形容詞の程度を少しだけ下げる効果があります。
イタリア語にはこのように名詞・形容詞に微妙なニュアンスを加える語尾がたくさんあり、頻繁に使われます。
largo
これは「(非常に)ゆったり、遅く」という意味で楽譜上では使われます。
この単語も実際のイタリア語ではニュアンスが違います。イタリア語では、largoは「幅のある、広い」(英wide)という意味の単語です。単に速度が遅いことを表すlento(英slow)とはニュアンスが違いますね。
largoは「(幅が)ゆったりとした」というニュアンスです。幅や大きさに「余裕がある」という感じです。英語のlargeも実は同語源です。
ゆ~ったり、悠々としたニュアンスを感じることが大切かなと思います。
ちなみに、ロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』の有名なバリトン・アリア『俺は街の何でも屋』は、イタリア語で “Largo al factotum della città” というタイトルです。
このlargoは、「道を開けよ!」という意味です。街の何でも屋が通るから道幅を広く、自分のために開けな!という感じですね。
“Largo …” というタイトルの曲に “allegro vivace” という調子記号がついていることにも注目ですね。
音楽用語を機械的に覚えるだけではlargoとallegroはおよそ逆の意味に思われるかもしれません。しかし、イタリア語の意味が分かればこのアリア “Largo al factotum della città”ほどallegroという単語が似合う音楽はないのではと思うはずです。
これもlarghettoとなると、-ettoという語尾が程度を下げるはたらきをしますね。
allargandoはガガガガンド
曲のクライマックスによく使われる記号にallargandoというものがありますね。
教科書的には「だんだん大きく、だんだん強く」なんて説明されます。中には「クレッシェンド+リタルランド」という理解の人もいるようです。
実際のallargandoは「crescendo + ritardando」とはこれもちょととニュアンスが異なります。crescendoは、「成長する」を表す動詞crescereの現在分詞の形です。イタリア語では現在分詞(英 –ing)が, -ando, -endo という形になります。純粋に音が「成長する」イメージです。
ritarlandoにはtardi「遅く」(英late)が入っています。「遅くなりながら」という速度の変化を表すわけですね。
一方、allargandoには、よく見てみると、先ほどの largoが入っていることに気づくでしょうか。意味は「幅広く」でした。
接頭語のal- は「~に向かって」を表します。ということは、allargandoは「幅広いところに向かって、幅を広げながら」といったニュアンスになります。
実際、動詞のallargareは「(道などを)広げる;間隔を広げる;(知識・交友関係を)広げる」といた意味で使われます。
大河が海に注ぐように、幅広いところに向かっていくというニュアンスを意識することで、「クレッシェンド+リタルランド」なんていう速度と音量の変化だけでない表情をつかめるのではないでしょうか。
数値の変化だけでは表せない音楽のイメージが見えてくるはずです。クライマックスにふさわしいことばだといえるでしょう。
espressivoとespresso
espressivoは「表現豊かに」(英expressive[ly])とされますね。
動詞はesprimere(表現する)です。これの過去分詞がespressoになります。いずれもラテン語のexprimere, expressusから来ています。
接頭辞のex-は「外に」という意味です。語幹のprimere (過去分詞pressus) は「押す」です。心の中にあるものを「外に押し出す」が「表現する」の成り立ちであるわけです。

イタリア語のespressoは、日本人には「エスプレッソ」としてなじみ深いでしょう。もともと形容詞ですので、「明瞭に表現された」とか「急行の(エクスプレス)」という意味があります。
コーヒーのespressoは、成分を外に高圧で抽出し、素早くつくるコーヒーというわけです。
そこからさらに派生した形容詞のespressivoも、表現を外に出してというニュアンスがありますね。私が好きな音楽用語のひとつです。
まとめ
見てきた通り、イタリア語やその語源にあたるラテン語を知ることで、おなじみの音楽用語も違った表情をもってみえてくることがあります。
これらがどのようなニュアンスで使われるかというのは時代や国や作曲家によって違うので、一概にこれはこの意味だと断定することはできません。
しかし、それまで「記号」として見ていたものを「ことば」として捉え直すと、また音楽の世界もことばの世界も広がるのは事実ではないかと思います。