沖縄本島の旅は、かつてそこに生きた人に思いを馳せる旅だった。本土から遠く離れた島にいるということは、時間的にも空間的にも、遠くの声に耳を傾けるということだったのだと今では思う。
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かりんとう理論
Peachで関空からおよそ2時間、那覇空港に到着した。
私にとって、沖縄県に足を踏み入れるのは初めてのことだった。
国際通りの安宿で一泊した翌日から、レンタカーで本島を巡ることにしていた。
本島を南から北へ1周する形で進んで行った。
沖縄本島はなかなか形容しがたい形をしている。たとえば、イタリア半島が長靴の形であったりするような意味での都合の良い姿をしているわけではない。「なんだか短い棒にところどころ突起があるもの」ぐらいの説明しか不可能であり、およそこの島の形に偶然の相似を示すものは地球上には存在しないものと思われる。いちばん近いもので「かりんとう」ぐらいしか私には思い浮かばない。
もちろん、この島は地球の地質がその長い歴史の中で生み出した産物であるので、だれかに何らかの責任があることでもない。(当然のことであるが、人類がこの島で繰り広げた悲しい歴史や帰属の問題などは、地球の歴史からすれば最近過ぎるぐらい最近のことである。)
とはいっても、沖縄本島を巡ると言うことは、少なからずこの「最近過ぎる」歴史に少しは思いを馳せることもやはり避けられないとは思う。
と言うわけで、かなり苦しい(というか理不尽ともいえる無理な例えではあるが、)沖縄本島を時計としてみよう。

「かりんとう」の真ん中、北端の辺戸岬を12時、南端の喜屋武岬を6時を指すように、時計をおいてみる。すると、7時の延長に位置ぐらいに那覇市がある。
そこから、反時計回りに、ひめゆりの塔、平和記念公演(6時の位置)、斎場御嶽(「せーふぁーうたき」と読む。5時の位置)と周り、3時ぐらいの道の駅で一泊した。
そこから、12時の辺戸岬をへと北上し、9時の位置で一泊、那覇に戻りさらに1泊するという、全部で4泊5日の旅であった。
(やはり時計の例えは無理がありました。そもそも細長いものを時計に喩えるのには限界があるものです。きゅうりをわざわざトマトで喩えるようもんです。この喩えも無意味です。)
風の中に声が聴こえる
レンタカーで最初に向かったのは、有名なひめゆりの塔だった。
ここはまあ、とにかく行ってみて、そして何か感じるものがあると思うので、それを大切にしましょうという場所であると私は思っている。特にこの場所についてかけることもない。
次に向かったのはそこからさらに進んだところにある平和祈念公園だった。
この場所には沖縄戦を中心とした太平洋戦争と、占領から返還までの出来事を順に展示している。私が行ったときには多くの修学旅行生が押し寄せては通り過ぎていきを繰り返していた。

平和記念公園は敷地自体はかなり広い。
海側には「平和の礎」という戦没者の名前を刻んだ石碑が扇状に広がる空間がある。扇の要の部分にはちょっとした広場があるのだが、そこで生徒たちが整列して、代表の生徒がなにやらことばを述べていた。
―私たちは、戦争の悲惨さを・・・
40名ほどの生徒と5名ぐらいの先生が神妙な面持ちでその様子を見守っていた。
日本の「本土」からこの島の南端にやって来て、この場所でこのことばを述べ、聞くことが彼らに何をもたらすのだろうか。
この場所は、確かに、耳を澄ますと風の音―そしてその中に、かつてそこに生き、そして死んでいった人の声が聞こえるような、そんな場所である。
自分とは何のつながりもない、ただ、過去この場所で生きた人々へと思いを馳せる、ただそのための場所である。

平和公園を訪れたなら、ぜひ奥まったところにある「霊域」と呼ばれるスポットにも足を運んでみることをおすすめする。
ここは資料館からは敷地の反対側に位置するので、人の出入りもほとんどなく、私が訪れたときも自分以外には、献花用の花を売っているおばちゃんしかいなかった。
おばちゃんには、遠くから「お花あるよ~」と言われたが、私は買わなかった。
(これは私の主義主張の表明と言うことは一切なく、単にお金をそれほど持っていないという事情によります。)
この場所は、静けさこそふさわしい。
聞こえるのは打ち寄せる波の音と、南国の匂いをかすかに含んだ風の音だけである。
目は閉じて、耳と肌でこの静けさと対話するための場所である。
神の声より腹の音
次に向かったのはさらに島を東に進んだところにある霊場、斎場御嶽だった。(繰り返しにあるが「せーふぁーうたき」と、一般の日本人からするとアクロバティックとも思える読み方をする。)
ここは「琉球王国のグスク及び関連遺産群」という名前でユネスコの世界遺産に登録されている遺跡群のひとつである。沖縄における最高の聖地となっており、観光客もそれなりに多い。
私が行ったときも、平日にもかかわらずそれなりに人がいた。
チケットを買ってからそれなりに坂を登って、ようやく入り口がある。そこからさらに山の中に入ったところにいくつか神聖なるスポットが公開されているというわけである。
私はどうしても霊場とかスピリチュアルな場所に敬虔なる心をもって入るのが苦手であるので、入場へのためらいはあった。(そして、入場料もためらいを大きくした。)
とはいってもせっかく来たのだし、ということで入ったわけである。
これがいつものパターンで、だいたい旅においてはこの「せっかく来たのだし」呪縛から逃れるのは難しいのである。
そもそも観光地や有名スポットというものに興味がない上、お金を払うと「その分は・・・」みたいな心理が働いた結果、その場所の良さを真に味わうことができない(ここ、英語でappreciateね)というのが私のダメなところである。
世界遺産・入場料・人気のスポットというのが、旅において私が最も苦手とする相手である。そしてそれらに戦いを挑んで敗れるというのが毎度のこととなる。
斎場御嶽も(再三しつこいが「せーふぁーうたき」と読む。入場料は大人300円)神聖な場所ではあるのだろうが、私のアンテナではあまりそのスピリチュアリティーをキャッチすることはできなかったというのが正直なところである。(もちろん、これは私に問題があるのであって、その場所にはなんら非はない。)
森の内部では、後ろを歩いていた観光客が「これは、神がいるわ~」と言いながら歩いていたが、私は空腹のせいもあってか、その夜何を食べるかと、どこでオリオンビールを味わうかということだけが火急の問題として頭を巡っていた。
こんなことを書くと現地の人に怒られるかもしれないが、斎場御嶽(「せーふぁー・・・以下同文)は私にとってそのような場所だった。

ただ、その少し前に立ち寄った「知念城跡」は、良かった。
知念城跡は斎場御嶽(“It’s called ‘Sei-fa-utki’.” – “Oh, dear…”)の近くにある静かな城跡である。近くに駐車場があるのだが、ここはガイドブックにもあまり載っていないような場所だったので、他には誰もいなかった。
まず、城跡へと続く道が、良かった。
駐車場から歩くと、木々に覆われた道が続き、そこから一気に視界が開け、草の緑と積み上げられた石塁が現れ、さらにそのおくには青い海が広がる。
入場料もなんもないこの静かな城跡が、よっぽど「声」をもっているように私には思われた。
あの場所は、良かった。
ニッポンの南の果てで、私は一人、満ち足りた気分になった。
人生に迷い、人生初の沖縄に来てる。
知念城跡というのが南部にあるのだが、そこが良かった。小道を抜けると城跡がポツリ。奥には青い海が見える。
観光地化もされておらず、人もいない。
『モスラ2』観たくなったよ・・・ pic.twitter.com/PNqyg00PpJ
— kazetori🦆やるせな語学×旅 (@kazetori2) 2019年5月8日
ヤンバルクイナを見た
その後は海の上に浮かぶ道の駅で車中泊をし、翌日は北部を回った。なにせ、お金を節約しないと行けないので、車中泊仕様でもないコンパクトカーの後部座席で夜を明かすという苦しい「宿泊」も必要なのである。
北部は「やんばる国定公園」に指定されており、原生林やマングローブが見られる自然豊かなエリアになっている。
途中立ち寄った公園では、結構たくさんの人がマングローブの中へカヤックに乗ってこぎ出していったり帰ってきて写真を撮ったりしていた。
私はそれをよそ目に、売店で買った「ポークタマゴおにぎり」と衣が分厚い白身魚のフライを食べて、ベンチで昼寝をした。

木漏れ日と海の香りを少しだけ含んだそよ風が何とも言えず心地よかった。(やっぱりヴィッツの後部座席で夜を明かすもんじゃね~な。)
北部はひたすら山間の道を進むことになる。途中、後ろからイカついスポーツカーにあおられたりしながら、北端の辺戸岬にたどり着いた。
この場所はまさに断崖の絶壁の波ザバ~ンという感じで、なかなか迫力ある光景が見られる。
海にはどの場所に行こうとその土地固有の色があるものだが、こちらの海は沖縄の中でも結構濃い藍色をしており、独特の荒々しさを湛えていた。

波が岬の岩肌にぶつかるたび、白い水が遙か高くへと飛び上がる様はいかにも爽快で、いつまでも見飽きないものだった。
岬は岩と低い緑の草木で覆われており、こちらもなかなかに、良い感じである。私は展望台近くのベンチにしばらく横になっていた。(コンパクトカーの後部座席での車中泊はなかなかやるもんではない。)
途中、ヤンバルクイナを見た。
車を走らせているとそいつは当然のように道に現れ、当然のように去っていった。道に現れ道を歩き去るのは野生の飛べない鳥からすると当然すぎるぐらい当然のことであるので、まあ、そんな場面に出会うのも或いは当然なのかも知れないが、それでもなんだか当然のように私は嬉しくなったものだ。
食べものの話

最後に食べものの話。
私は、先述の通り有名観光地や人気スポットというものにはほとんど興味がなく、入場料がある時点で途端にやる気がなくなってしまう性質の人間である。人が行くとこには行かないなどと、ひねくれたことを嘯いてセンス見せつけるぜ~と思われても仕方ないぐらいには、人がたくさんいるところが苦手なのである。
とはいっても、食べものとなると話はまったくの別である。
入場料にはあれほどの抵抗があるにもかかわらず、食い物と酒には割と惜しむ心みたいなのがない。
ということで、私が食べた・飲んだもの。
- 沖縄そば
- アーサそば
- もずくそば
- ラフテー
- ゴーヤチャンプルー
- ハンバーガー
- ステーキ
- オリオンビール
- 泡盛
以上である。なんとも「ミーハー」(このことばの意味はいまだによく分からないが、おそらくこういうのをこう呼ぶのであろう)の極みというところである。
むしろ私は、旅に出て、敬虔な気持ちになることもないことはないが、たいていは食い物のことを考えているような気もする。
那覇市で食べたハンバーガーなんて結構いい値段したぜ、まったく。
それでも沖縄の「せんべろ」という文化はなかなかおもしろく、貧乏人にはありがたい問だった。「せんべろ」は、千円でべろんべろん、ぐらいの意味で(いや、実際には確認はしてないのだがたぶんその意味だと予想している。)大体居酒屋に行くと、ドリンク3杯+一品の構成で手軽に酔っ払うことが出来るようになっている。
3泊目の宿の近くに居酒屋があったので、お邪魔し、例のごとく、「せんべろ」のお世話になった。
この店では、せんべろを注文すると、カウンターに備え付けられている蛇口の取っ手を店員が取り付けてくれ、それをひねると泡盛が出てくるという、なんというか、夢のような仕様になっている。
早速私も蛇口をひねった。すると出てくる出てくる。泡盛が蛇口から出てくるではないか。

小槌叩けば大判小判、蛇口ひねれば泡盛、である。私は金銭にはそれほど欲深い方でもないので、打ち出の小槌よりは泡盛蛇口で十分満足である。
人生に必要なのは、地位でも名声でも富でもなく、蛇口の取っ手である。なんと言うことはない。ひねれば泡盛、である。これは妙に痛快であった。
この夜の顛末は、語るまでもない。
私はどこへ行くともなく、深夜の見知らぬ街を歩き回った。
ふらふらになって、沖縄の空を見上げたら、白くて丸い月が出ていた。
おわりに
沖縄のあとは、香港・マカオ、愛媛、タイ、ラオスと旅は続いたのであるが、それはまた別の話である。
始めていった沖縄はなんというか、おもしろい場所であた。それは確かだ。
しかし、あの夜以降、泡盛は当分飲もうという気分になれなかったのは事実である。
蛇口は人間に命を与えるが、また、その一ひねりが命取りにもなるということである。